父との想い出。

千葉のかずばあちゃん
早くも休載です(笑)

今日は母にかわり、父との想い出話を。

僕の父は野球が好きでした。
だから僕も野球が好きになりました。
父はよく、キャッチボールの相手をしてくれました。

僕が小学校1年生の時、病気で片目を失明しました。
それ以降、キャッチボールをしてくれなくなりました。

「片目だと遠近感がつかめず、ボールを取れないから。」

そう、幼い僕に説明してくれました。
でも理屈がまだ分からなかった僕は
納得がいかず

「お父さんの弱虫!、片目が見えないくらいで!!」

それまでかっこよくて大好きだった父を
嫌いになった瞬間でした。

僕が高校3年の時、残った片目も病気で失明しました。
身体障害者1級として、自宅でただ過ごす人になりました。

朝から酒ばかり飲んで、自分の不幸を嘆いてる父を見て

「こんな大人には絶対ならない!」

と反面教師にし、大学を出すお金がないと言われ
学費を自分で稼ぐため、昼仕事して夜に大学に行きました。
親があてにならないなら、自分でなんとかする!

そこから、僕の自立の人生が加速します。
すると10年後、飲んだくれオヤジが一念発起します。

偶然隣の人が、自宅ではりきゅうマッサージをしていて
その方の紹介で盲学校に通い、資格を取ろうと決意し
白い杖で、通い出しました。

資格をとり、点字もマスターし、別人のように働きだしました。
しばらくして、僕にも子供が生まれ、可愛いくて愛おしくて!
自分は親の世話にならずに、自分の力で生きてきた!

そう思っていたけど

幼い僕をこんな気持ちで育ててくれたんだろうか?

そう気づき、子供の頃、親に対して、なんて申し訳ないことを
したんだろう!。今度は自分を責めていました。

もともと働き者だった父は、そのあと元気に働いていましたが
10年後、結核で入院したり、体力も落ちて、60過ぎて引退
しました。

それからは、大好きなラジオ(テレビはもちろん見れないので)
を一日中聞いていました。

68歳でがんになり、手術で一度は元気になりましたが、
1年半後再発、70年の生涯を10年前に終えました。

最後の時は、普通の病院から緩和病棟に移って2日目
あと半年くらいだと言われていたのに、突然のことでした。
その時僕は、屋久島の旅を終え、鹿児島空港に向かう飛行機
のなかでした。

鹿児島出身の父の生まれた場所で、訃報を聞く不思議さと
死に目に会えなかった、なんとも言えない気持ちでした。

父は、生前よく言っていました。

「自分は二つの人生を生きれて幸せだった、
それは、目が見える人生と・見えない人生の二つの人生!」

目が見えなくなったくらいで!
大変さを全く理解せず、自分の気持ちだけ押し付けた。

理想の父を求めて、泣き叫んだ子供時代を振り返り
父も子供の自分も、どちらも未熟だったけど

そのときは、精一杯だったんだな〜
とやっと心の底から赦せるようになりました。

大人になった自分も、同じような状況を作り出しました。
この歳になり、父の背中をあらためて感じて
勇気をもらっています。

お父さん、産んではいないけど(笑)育ててくれてありがとう!
そして不思議と、いまも側で見守ってくれている。
そんな大きな安心感があります。

母とは後悔のないように、いま毎週電話をしています。

ライフコーチ
永田和士

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